ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」

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宮崎 駿

徳間書店

カテゴリー:Book

発売日:2003-10-31


私にとっては聖書です。(2008-04-30)
古代遺跡や世界史、宗教にとても興味があり、その考察本などを好んで読んでおりますが…それらに興味を持つきっかけの1つが物心ついた頃に出会った『風の谷のナウシカ』な気がします。
小学生の頃、大好きな映画から原作を知ったものの内容が理解出来ず…大人になって読みなおした時も何回も読み返しました。世界観が見えてきた時には衝撃を受けました。
宮崎監督ご自身が語られない限り、この作品の内容を現実の様々な問題に直結させて議論をしたいとは思いませんが、私にとっては有名な聖書・聖典や神話、叙事詩にも匹敵する作品です。
この先もずっと心の糧として読み続けるでしょう。


 (2008-03-19)
全7巻に渡る一大巨編。
読み始めてまず驚かされるのはその世界観だろう。一見長閑で未発達、いくぶん原始的かと思われるその世界は、腐海という汚染された森や、巨大な頭骨、周りと不釣合いなメーヴェ、ガンシップといった技術と併せることで、何かが起こったような、ただならぬ深みを帯びた世界へと変貌する。
物語が進むにつれてその世界と人間が掘り下げれられて行き、また場面場面でみても面白い。

この作品の根本的テーマは何かといえばそれは最後の最後に明らかになってくる、人間に宿る普遍的性質、ということが出来るだろう。
ここには強く気高く生きることが出来ない人間という憐れな生き物の本質が描かれている。

これは人類の歴史に内包される悲劇を描いたドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」から、鈍感で弱さに甘んじてしまう人類を描いたオーウェルの「1984年」まで、多くの先人たちが説いてきた人間の本質を表現するという偉業の一翼を担うものである。

この作品では、その悲劇から逃れ、完全な人間になる選択肢が与えられるのだが、それに対するナウシカの答えは、完全を捨て不完全な人間でい続けることだった。人間は不完全だから人間なのであって完全な人間は人間じゃないというセリフにはナウシカの精神の高潔と、宮崎駿の生きてゆくことへの決意が感じ取れる。
蟲使いに始まる多くの不完全な人間たちは、気高くいることを説いても弱さに甘えてしまう。悪くすればその違いすらわからない。
それでも強く生きようとしたナウシカの答えは、生きねば、というものだった。
そして、気づくべきはその「生きねば」と誓ったナウシカの決意を宮崎駿が実践しているということである。

ナウシカの意志を継ぐ彼は、悲劇の内を生きねばならぬ私たちのために、映画を通じて人間の最も純粋な素晴しい側面を描くことで、日本中に、果ては世界中に生きる喜びと希望を与えてくれた。
その事実は、ナウシカの誓った想いを彼のやり方で実現するものであった。
その喜びは、押し付けがましくなく、自らに沸きあがってくるものであり、
人類の悲劇という事実の表現にとどまらない、その悲しみに立ち止まらない、気高い精神によってもたらされるものである。

彼の作品の中でそれが最も顕著に表れているのが、
生きる喜びをロマンに求めた「天空の城ラピュタ」であり、
日常に見出した「となりのトトロ」であり、
恋愛に求めた「耳をすまえば」であり、
生き様に拠った「紅の豚」「カリオストロの城」である。

これらの作品は訓戒とか、道徳的とか世界の都合を押し付けてくる他の腐りきった映画と違い、人としての喜び、生きる喜びだけを純粋に描き出している点で素晴しいものである。だから他の追随を許さないのであって、気持ちいいのであり、見るものをやさしくするのである。

しかし、悲しいことに最近の彼の映画はメッセージ性を強く帯びるものに成り下がってしまった。

現代的な弱さから成長してゆく少女の物語「千と千尋の神隠し」
前向きに生きられない若すぎる年寄りの心の成長「ハウルの動く城」
生きろ、と直接云ってしまった「もののけ姫」

これらも素晴しい作品ではあるが、その純粋性において、前述の作品群には遠く及ばず、だからうるさく感じてしまうのである。

何が彼を変えてしまったか。
年齢か、昨今の風潮か。詳しいことはわからない。
映画監督として、世に生きる喜びを投げかけてゆくのは素晴しいことである。しかし、そこに陰りがあれば作品の中のテーマが浮き彫りにされ、なにか押し付けられている気がしてくるのである。

純粋でなければならない。そうすれば、たとえその一片に触れた瞬間だけでも、やさしくなれるのだから。
多くの人は道徳を押し付けられなくても、その内の純粋なものを感じって、自発的に素晴しいものになろうと自らの中に道徳を作ってゆくものである。

我々は自然や風景に感動するが、そこには何かメッセージ性があるだろうか。我々はそこに何かを感じるのであって、其処からおしつけられるのではない。

法律とは社会に押し付けられるものである。自己の抑制を強要されるものである。そういった面で法律が好きな人間は危険だ。徹底した規律の果てにあるのは理想的な管理社会と、それを他人に押し付けてしまう多くの弱い心である。
出来ることならば、法律という他人指向型ではなく、自発的にこれはいけないと判断できる自己指向型でありたい。
誰かがそう言っているからではなく、自分がこう思うからいけない、で在りたい。

では、直接的な法律という手段を最小限に抑えて、自発的に自分の内に規律を作ってゆくように促すにはどうしたらいいか。

それは、屈託のない本性に触れる事である。純粋な喜びを知ることである。
そのため素晴しい本を読んだり、素晴しい絵画に触れたり、素晴しい映画を観ることがいいのである。
だから彼の映画を薦めたい。彼は今この世の中でそれがわかっている人間のうちの一人であり、それを表現する力を持つ人なのだから。
彼の映画を観終えたら誰でも、さわやかな気持ちになる。純粋なものに触れた気がする。たとえひと時でもそう感じることが大事なのである。
ここに現代的な閉塞感からの脱出のポイントがあると思う。

この「風の谷のナウシカ」は彼の後々の映画を作ってゆくための基になっているものであり、彼という人物の土台が表われたものでもある。

どの文学よりも重く、それでいてエンターテイメントでもある至高の漫画。
手塚治虫なんて目じゃない。未読の方はぜひ一読に処されたい


映画版が「単なるナウシカアイドル化作品」にすぎない事を教えてくれる程の作品。(2008-02-07)
「映画版」が触り程度でしかなかったということを教えてくれる、映画よりも遥かに重いテーマを孕んだ「ナウシカの漫画版」。
恐るべきまでの「世界観」の構築に驚嘆の声が止まる事を知らぬだろう。
「ユーラシア大陸」で全ての事件が展開されていたことを初めて知った!

「ナウシカ」を知る人間は大きく分けて3タイプに分かれると思う。

すなわち、
・「映画版」しか観ていない。
・「漫画」しか観ていない。
・「映画」も「漫画」も観ている。

最も多いのが「映画のみ」で、最も少ないのが「漫画のみ」であろうことは容易に想像が付く。
アニメ映画の世界観が「やや分かりにくい」なとど思っていたが、漫画の複雑さと比較すれば映画は「全くもって一般向き」「間口の広い」作品であることが理解できた。

アニメと漫画の大きな違いは、
ナウシカとクシャナ・クロトアとの関係だろう。

アニメではトルメキア軍がナウシカの父を殺害してしまったことになっている(漫画では「病死」)ので、ナウシカが彼らに憎しみにも似た感情を抱いてしまい、本心からの相互理解が不可能な状況に追い込まれてしまったが、漫画では物語の大半で行動を共にするため特にクシャナ・クロトア側からの「ナウシカへの歩み寄り」が顕著。
両者共にナウシカから受ける影響で当初の「侵略者的な行動」は薄まり、苦難を共に乗り切る過程で「戦友」にも似た感情が生まれていくこととなる。

「腐海」「瘴気」「蟲」「王蟲(オーム)」「巨神兵」はナウシカの世界観を象徴する5大キーワードだと思う。

「滅亡」と「再生」。
「生」と「死」。
「光」と「闇」。
「進化」と「退廃」。

繰り返して示される背反する「2つの言葉の数々」が、浮かび挙げる「人間の業」。
そしてそれら全てを飲み込む形で存在する世界「地球」が、下す「審判の行方」。
「神によって与えられる未来」ではなく、「自らの手によって選び取る未来」を選んだナウシカたちの行く手に広がるのは「殺戮の荒野」か?それとも「豊穣なる恵の大地」か?
「審判」は未だ下されぬのだ。

とにかく1巻・1巻のボリュームが有り過ぎ。
並みの単行本の倍の時間が読み終えるのに掛かる。
不満は「恋愛的な要素」は全くというほど無かったことか。
アスベルともほとんど「別行動」となるのと、事態が急展開するため「それどころではなく」、ロミオとジュリエットにすらならない。
ま、作品の「本来のテーマ」とは外れた部分なので、枝葉のことではあるが。
最強剣士「ユパ」の死も意外だった。しかも部族同士の諍いの巻き沿いだしなあ・・・惜しい人物を失ってしまった・・・。

「漫画版」を読んだ後では「アニメ版」は「ナウシカアイドル化」のための「プロモーション作品」か?という邪推さえ浮かんでしまう問題作。

衝撃に全身を貫かれた証拠として「5つ星」評を献上させていただきます。


テーマ性が深い(2007-10-14)
アニメ版より原作マンガがとんでもない展開になっていて感動的な作品
になっている。アニメだけみて「ナウシカ」は語れない。是非
原作マンガを読んで、宮崎駿の底力を感じると良い。原作マンガは読後にア
ニメ版の様な爽快さは無いが「ナウシカ」の持つテーマ性を深く感じることが
出来る。


哲学としてのナウシカ(2007-09-13)
『アニメージュ』の連載第一回を読んだ時の衝撃は、未だに忘れることができません。腐海、蟲、メーヴェなどいままで聞いたことのない音の響き、独特のエンピツ画など、これはとんでもない物語が始まろうとしている、と背筋がぞくぞくしました。トルメキア戦役に否応なく巻き込まれていく風の谷の人々とナウシカ、巨神兵をめぐるトルメキアとドルクの暗躍、両国の存亡をかけた戦争、重い責任を自ら背負うクシャナや僧正、この世界の存在そのものの残酷さに深く傷つくナウシカ、そしてラストでの本当に力強い、人間のそれぞれのかたちでの救いと世界の癒し・・・。こんな壮大な物語は他の大抵の作家は冗長になって訳がわからなくなってしまうか筆を折ってしまうものなのに、宮崎さんは見事に完成させた。人間は、腐海の瘴気に蝕まれ続けても「血を吐きつつくり返しくり返しその朝をこえてとぶ鳥だ!!」とナウシカが言い放つ場面(最終7巻)に、宮崎さんの世界観、哲学が集約されています。アニメーションでの評価ももちろん正当なものだけれど、このマンガ版ナウシカによってこそ宮崎駿さんという稀有な作家の評価をしなければならないと、心から思っています。☆10こぐらいつけたいくらいです。

連載当時(高校生時)は早く次が読みたくて仕方ありませんでしたが、宮崎さんがアニメをつくる度に長期休載で、ついにアニメージュを買うことをやめてしまいましたが、徳間書店からセットで出してくれていることを知ったときは「なんて太っ腹!」と思ったものです。しかもこの値段で入手できるのは、信じられないくらい幸福でした。


このブログ記事について

このページは、新情報ならが2008年6月 6日 23:39に書いたブログ記事です。

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